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2007-10-16

米澤穂信/遠まわりする雛

遠まわりする雛
米澤 穂信
角川グループパブリッシング
2007-10-03
単行本

ご存知古典部シリーズ第4作。まだ、書店では見掛けない気がする。売れてないはずはないのだが。それとも売れ過ぎて店に渡ってないのか。

内容は、折木たちが古典部に入部した直後(おそらく『氷菓』の第2章の直後)から、折木たちが2年生になる春休みまでに起こる出来事を時系列順に集めたものだ。一つ一つの章は独立したミステリーになっていて、全体を通した話というのは無いのだが、折木たちの関係の変化を1年間を通じて描いている。特に折木と千反田は、出会いから告白手前まで関係が発展する様子が丹念に描かれていて、千反田の萌え小説としても読めるようになっている。

「やるべきことなら手短に」は、古典部に入部した直後、千反田の扱いに困った折木が千反田の好奇心をそらすためにちょっとしたトリックを使う話。米澤穂信にしては珍しく言い落としが使われている。トリック自体は簡単。千反田を騙したことを後悔する折木がちょっとせつない。

「大罪を犯す」は、千反田の教室で授業の進度を勘違いした教師が生徒に当たり散らすのだが、なぜ教師がそんな勘違いをしてしまったかを後から解き明かすという話。ちょっとトリックが納得いかない。

「正体見たり」は、古典部の合宿先で千反田たちが目撃した幽霊の謎を解く話。ミステリーとしては伏線から解決までがちょっとややこしい。見所は、千反田と一緒に温泉に行くシーン。「一緒に出ましょうね」と千反田に言わせるよねぴーはリビドーに忠実すぎると思う。

「心あたりのある者は」は、ひょんなことから、折木と千反田が校内放送から何が起こったかを推理するという話。短い一文から大きな事件を解き明かしていく様は圧巻。これぞまさにトリックよりロジックの世界。推理作家協会賞短篇部門にノミネートされただけあって、ミステリー短編としては、この短編集の中で一番の出来だ。どうせオチがあるだろうと思ったが、結果的に最後まで突き抜けて良かったと思う。

「あきましておめでとう」は、タイトルのダジャレの通りに初詣に行った折木と千反田が納屋に閉じこめられるという話。折木は里志に落とし物を通じてSOSを発信する。これは米澤穂信お得意のパターンだね。連作短編としては、誤解されたら困るという千反田に対してもうちょっと折木の葛藤が欲しいところ。

「手作りチョコレート事件」は、摩耶花から里志に送られるはずのチョコレートが何者かに盗まれる。責任を感じる千反田のために折木が真相を究明するのだが……という話。これはミステリーを離れて、なぜ里志が摩耶花のチョコレートを受け取らないかというのが主題。この章を好きになれるかどうかで、「遠まわりする雛」全体が好きになれるかどうかが分かれると思う。で、僕は、納得がいかないんだよね。今までの米澤穂信作品と比べると致命的にぬるいと言わざるをえない。里志の方はわかる。端的に言えば、甲斐性がないということだろう。しかし、小説の筋としては、やはり里志はしっぺ返しを食らうべきだろう。今までの米澤穂信の小説はそうだったはずだ。米澤穂信は古典部シリーズに思い入れが強すぎるのかもしれないと思った。

表題作「遠まわりする雛」は、毎年地元の神社の祭で「生き雛」となった千反田に、人数合わせで呼ばれた折木が明確に恋愛感情を意識する話。ミステリー要素はほとんどない。これは、「生き雛」祭の描写と、祭の後、折木が千反田にプロポーズ寸前まで行ってしまうのが見所。「手作りチョコレート事件」に比べると、大分わかりやすい話だね。付き合い始めのカップルが勢い余って結婚後のことを考えてしまうような痛さがある。

全体を通じると、ミステリーとしては面白いが、青春小説としては、やはり、男性側の都合ばかりが全面に出てしまっているような気がする。次は女性陣の逆襲を期待したい。

2007-10-04

米澤穂信の「遠まわりする雛」がどこにもない!

遠まわりする雛
米澤 穂信
角川グループパブリッシング
2007-10-03
単行本

10月3日発売ということで、探し回ったのだが、どこにもない! Amazonは「近日発売」から「通常3~5週間以内に発送します」に直行だし。インシテミルは結構すぐ見つかったのになあ。インシテミルより古典部シリーズの方が売れるに決まっているじゃん! ある程度大きい本屋で米澤穂信の新刊入れないところはマジで潰れた方がいいよ^^

追記:翌日船橋まで遠征して無事ゲット!どうも入荷が遅れているという噂もある。

2007-09-21

米澤穂信/インシテミル

(容赦なくネタバレします。注意してください)

インシテミル
米澤 穂信
文藝春秋
2007-08
単行本

この小説はメタミステリーなところがあって、あまり良いミステリー読みとは言えない僕としては、ちゃんと作者の意図を理解できているのか自信がないのだが、とりあえず思ったことを素直に書いておくことにする。

米澤穂信は、今まで本格ミステリー作家でありながら、本格らしいガジェットやギミックを避け、「日常の謎」派として、青春小説とミステリーをミックスしたような作品を発表し続けているわけだが、今回の『インシテミル』ではベタベタなクローズド・サークル内の殺人ゲームをやるらしい。ちなみに『インシテミル』はThe Incite Millと英題がついていて、それと「淫してみる」をかけたものらしい。

ということで、早速買ってきて読んだのだが、まず、驚いたのが、1ページ目の<暗鬼館>見取り図。クローズド・サークルと言っても、山荘や孤島の洋館みたいな感じなのかと思ったら、幾何学的に17個の部屋が円形に配置されているという異様な建築物。本格というか新本格のノリだ。

ストーリーの概要はこうだ。まず、この暗鬼館に12人の人間が集められる。7日間をここで過ごすだけで2千万円の給与が出るのだが、さらに他人に見つからずに人を殺したら、それが2倍(殺した人数で倍々になる)になる。また、誰かが殺されたときに犯人を当てることができたら(つまり、探偵役になれば)、3倍になる。というわけで、この暗鬼館の中で殺人ゲームが行なわれるわけだが、そこは米澤穂信らしく素直にはいかない。この小説の中では6人が死ぬのだが、2人は自殺で、1人は事故、3人が殺されるのだが、そのうち1人は衆人の中で衝動的に殺される。残りの2人は犯行が一度で行なわれてしまうので、実は大袈裟な装置の割に殺人事件らしい事件は1回しか起きないのだ。

また、この殺人事件のトリックもあまり難しくはない。普通に読めば、大抵の人はわかると思う(細かいロジックはともかく)。暗鬼館に集められた12人にはそれぞれ別の武器が支給されるのだが、ということは、殺害方法と犯人は密接に結びつけられる。逆に言うと、ここにトリックの入り込む余地があるわけで、読んでいる途中でなんとなく犯人はわかってしまう。だから、コテコテのミステリーという割には、犯人当てにはあまり凝っていない。

で、これだけなら、ちょっと失敗したミステリーになってしまうのだが、この小説の面白いところは、終盤、主人公たちがこの殺人ゲームに対して論評を加えていくところだ。このゲームでは、探偵役の推理に対して多数決で犯人が決定され(真犯人でない場合には後で探偵役にペナルティがある)、犯人は監獄に放りこまれてしまう。で、終盤、この監獄に放り込まれた2人がミステリーマニアで、このゲームをミステリーとして見た場合にどうなのか、と話し合う。テーブルに置かれたインディアン人形はクリスティーの『そして誰もいなくなった』が元ネタだとか、部屋に鍵がかからないのは密室が作れないから駄目だとか。部屋に鍵がかからないところは中盤でのホラー要素のポイントだったので、こういう視点の変更は面白い。

しかし、このあと、主人公たちは監獄を抜け出してゲームの世界に戻っちゃうんだよね。そして、犯人を指摘して、いくつかシニカルなオチがあって、日常に戻っていくわけだけど、この流れはどう解釈すれば良いのだろう? とても(新)本格っぽいガジェットではじまったわりに、どんでん返しがあるわけでもなく、叙述トリックがるわけでもなく(見落してないよね?)、かと言って、メタミステリーも途中でやめちゃうし、正直中途半端な印象がある。ヒロインの須和名の存在も謎だ。ある種の傲慢さの象徴なんだろうけど、いまいち存在意義がよくわからない。よねぴーのリビドーをぶつけてみたのだろうか。そう言えば、須和名と関水って千反田えると伊原摩耶花に似てるよね。『身内に不幸がありまして』も名家のお嬢様が出てきてたなあ。

というわけで、まあ、面白かったけど、最後の中途半端感が残った作品だったかな。僕の考えているようなことなんて全て折り込み済みのはずの米澤穂信になぜこんなオチにしたのか聞いてみたい。全体的には、トリックよりロジックで、米澤穂信らしい、ヒネりが効いたところがたくさんある。しかし、なんか「淫してみる」ではないよね、この作品内容自体は。そういう派手さを期待すると肩透かしを食らうかも。

2007-06-15

米澤穂信/身内に不幸がありまして

小説新潮に掲載された短編。米澤穂信本人曰く、横溝正史風らしい。横溝読んだことないが、昭和初期の耽美な作風。大きなお屋敷のお嬢様に仕えるメイドが主人公。ある年を境にお嬢様が夏休みに帰省する度に家の人間が何者かに殺されるようになった。犯人は一体誰なのか。行方不明になったお嬢様の兄上なのか、夢遊病のように自分が殺してしまったのか、最後にはメイド自身も殺されてしまう、さて犯人は? と言っても一人しかいないわけだが。

この作品のミソは、『Do you love me?』と同じく、こんな酷い動機で人を殺しちゃうか!?というところ。米澤穂信って、こういうミステリー世界の非人間的なところをうまく使うよね。しかし、こんな作品を書いていると、単行本化されるのは、随分先になりそうだな。

2007-04-10

ユリイカ2007年4月号 特集 米澤穂信

米澤穂信 - 青土社

表紙は「春期限定いちごタルト事件」「夏期限定トロピカルパフェ事件」の表紙も書いている片山若子による「さよなら妖精」の太刀洗万智。

ユリイカで米澤穂信である。ユリイカと言えば、本来は詩と批評の雑誌。最近では、ちょっととんがったサブカルチャー近辺の人を積極的に取り上げている雑誌だ。しかし、米澤穂信はとんがってるか? この特集の副題に「ポスト・セカイ系のささやかな冒険」とあるし、編集後記には、「さよなら妖精」とセカイ系の関連について述べらているから、編集部は米澤穂信をアンチ・セカイ系として取り上げたかったのかもしれない。しかし、それはどうかと思うね。

ぼくは「セカイ系」という言葉が「動物化」と並んで嫌いだ。どうも、サブカルの人々のオタクの取り上げ方には悪意を感じてしまう。セカイ系なんてのは物語のフレームの一つにすぎないわけで、要するにボーイ・ミーツ・ガールのメタファーとして大きなセカイがあるだけだと思う。男の子と女の子の関係が世界の存亡で表現されているというだけでしょう。非日常的なヒーローとヒロインの関係が、ヒーロー側だけ日常に降りてきている過渡期の現象だよね。最近じゃ、そんな大きな話は必要としなくなってきて、町内で済むようなうる星やつら型の話が多くなってきてると思うし。

それに、個人の問題が外部の大きな問題にリンクするってのは、ハリウッド映画でもよくある話でしょ。主人公のコンプレックスが解消されると、なぜか、他の様々なことがうまくいくっていうのは、所謂ハリウッドメソッドの一つだよね。

そんなに都合の良いことは現実には起きない、と言うために、どうして、サブカルの人がこんなに大量の言説を消費しなきゃならないのか、正直言ってぼくには理解できない。そういう文脈で米澤穂信を担ぎ出したのだとしたら非常に残念だね。もっとポジティブに評価できるところがたくさんあるでしょ。

で、中身だけど、書き下ろしの短編が一つ、対談が二つ、その他は批評という構成。

書き下ろしの短編は、過去の米澤作品の人物が再登場するということが予告されていたのだけど、「Do you love me?」あたりの人物かとおもいきや、なんと、表紙にもなった太刀洗万智と守屋路行。太刀洗はルポライターになり、守屋は大学の講師になったようだ。推測だが、1992年に18歳だった彼らが、2007年現在35歳になったということなんじゃないだろうか。内容は、テーマが独り善がりの正義とマスコミ的好奇心ということで、らしくないテーマだと思った。新シリーズになるらしいので、様子見って感じだな。

対談は、それぞれ笠井潔と滝本竜彦とのもので、それなりに面白かった。特にネット小説黎明期がテーマの滝本との対談は、90年代末当時の様子が伺えて興味深い。

問題は批評だね。全部で12本あるが、大きく分けると、米澤作品を、ラノベとして読んだ批評(斎藤環、佐藤俊樹、福嶋亮大)、ミステリーとして読んだ批評(巽昌章、松浦正人、蔓葉信博)、その他の視点(古谷利裕、仲俣暁生、円堂都司昭)、批評じゃないもの(桂島浩輔、浅野安由、前島賢)となる。

まず、この中でラノベ系の3人は論外。興味がないなら批評など書くべきではない。つーか、ラノベと言ったらハルヒの話しかしない、ラノベ論者って何なの? カレーにつけるパンみたいなやつってナンなの? それじゃ、本格ミステリーの歴史を繙いて論じる笠井潔に勝てるわけないじゃん。

ちなみに3人のうちの一人、福嶋亮大はブログで白旗を上げている。

仮想算術の世界 「認識のシステム」と「利用のシステム」

引用すると、

率直に言って、特に書くこともないのに無理に書くネタをひねりだしているような評論がほとんどではないかと思います。評論サイドとしては悔しい限りですが、たぶんおおかたの読者には、滝本竜彦さんと米澤さんの対談がいちばん面白く、また刺激的なのではないでしょうか。
なぜか(僕の評論も含めて)谷川流の名前がやたらと出てきますが、谷川さんと米澤さんのあいだにテーマ的なつながりを見てもたいして意味はないのではないか。要は、それくらい無理しないと、とりあえず字数を稼げないということにすぎないのではないか。

率直すぎ。そもそもは、アンチ・セカイ系として米澤穂信を取り上げたユリイカ編集部に問題があるが、ラノベと言ったらハルヒしか読んでいない、5年経っても「動物化するポストモダン」を追従することしかできない批評家たちの責任も大きい。手を抜きすぎ。

ミステリー系の3人は、まずまず。やはり、ストレートに読む分には、米澤穂信はミステリーでしかないんだよね。だから、涼宮ハルヒと比較するより、メフィスト系と比較したり、日常の謎派と分類する方が、まともな話になりやすい。しかし、あのボトルネックの残酷さや小市民シリーズの徹底した抑制の描写には、ミステリーの魅力だけでは説明できない、現代に対する鋭い感覚があると思う。今回の特集にはその辺を期待していたので、残念。

独自系は、小品であるが、それぞれの視点で興味深い話もしている。たとえ書くことがなくてもこの程度の芸は欲しいところ。

全体を見渡すと、細かい間違い(小佐内 → 小山内、「さよなら妖精」の順位を「犬はどこだ」と混同など)が多くて、萎える。

結論としては、ユリイカ程度では、米澤穂信の全体像を捉えられなかったということだね。今のサブカル言説の貧弱さは、他人事ながら、心配になる。東浩紀のせいにするわけじゃないが、セカイ系と動物化のせいで、一気に評論の手抜きが増えたと思う。何でもセカイ系と断ずることで、何か言った気になる評論が多すぎる。今のラノベ、アニメの変遷に批評家たちが全然追いつけてない。週にアニメ10本視聴、月に10冊ラノベを読むことを勧めたい。

2007-01-30

米澤穂信/犬はどこだ

S&Rシリーズの第一作「犬はどこだ」を読んだ。シリーズと言っても、まだこの1作しか出ていない。この作品は2005年の「このミステリーがすごい!」で第8位にランクインしていて、米澤穂信の代表作になるらしい。さらに、伏線回収が秀逸、意外なラストという評判でかなり期待して読んだ。

で、感想は、と言うと、やっぱり面白かった。確かに見事なミステリーで、後半はページを繰る時間ももどかしいという感じだった。展開は意外というわけではなく、まあ、そういう展開もあるかな、とは予想できた。しかし、伏線回収が(これも言われているとおり)見事で、ミステリー小説として考えると米澤穂信の小説では一番かなと思う。

そして、オチはそうくるかーと感じだね。米澤穂信らしいな、と。米澤穂信がハードボイルド探偵小説を書けば、こうなるんだろうなって感じ。前に文体がハードボイルドだと指摘したけど、この作品を読んで米澤穂信の他の小説を振り返ると、意外と米澤穂信の探偵役は、いわゆるハードボイルド探偵と見ることもできるのかなと思った。世間と自分との距離のとりかたがそれっぽい。

しかし、個人的にはちょっと物足りなかったところもある。

説明が難しいのだが、「愚者のエンドロール」と「クドリャフカの順番」に比べると「氷菓」が物足りなかったり、「夏期限定トロピカルパフェ事件」に比べると「春期限定いちごタルト事件」がちょっと寂しいのと同じだ。「犬はどこだ」は、ややミステリーに徹しすぎているような気がする。主人公の紺屋長一郎の話として見れば、始動したばかりという感じで、次作以降の展開に期待って感じだな。どうも、この作者はシリーズ第1作目では登場人物は大人しくしてるのが好みなのかも。単純にスロースターターなのかもしれない。

さて、これで米澤穂信の既刊の作品は全て読んだのだが、総括すると、この作者は本当にハズレがないね。出てる本、全部面白い。再三、抑制が効いていると形容したけど、それが読んでいて癖になるところ。どうも本を読むと一々ツッコミを入れてしまう性分なので、それがわざわいして、特定の本を読むと非常にストレスが溜まったりするのだが、米澤穂信の本は全くストレスなく読めるのが素晴らしい。

米澤穂信を初めて読むなら「さよなら妖精」をおすすめしたい。この一作に米澤穂信の小説の醍醐味が集約されていると思う。反対に、上で挙げている「氷菓」「春期限定いちごタルト事件」あたりは、人によっては退屈だと感じるかもしれないので、注意が必要かも。それぞれ続編はエキサイティングなので続けて読むべし。


米澤穂信/Do you love me?

雑誌『ミステリーズ!』の増刊『ミステリーズ! extra』に掲載された短編。図書館で米澤穂信で検索したら見つかったので読んでみた。短編ということで、あまり深い話ではなく、世界の神判のトリビアを披露しながら、なぜ殺人が行なわれたかという動機を探る話。でも、この作者らしい、ちょっとした皮肉もあり、短いながら楽しめる作品だった。


2007-01-18

米澤穂信/ボトルネック

米澤穂信のボトルネックを読んだ。これは古典部シリーズや小市民シリーズとは別の独立した話で、今のところ米澤穂信の最新作ということになる。それにこの作者にしては珍しく、ちょっとファンタジー要素が入っている。

内容は、非常に残酷な話だ。両親は険悪で、兄が死んでも誰も悲しまないほど家庭環境は荒んでいて、唯一心を許した恋人ノゾミにも死なれたという可哀想な少年リョウが主人公。そのリョウがある日パラレルワールドに迷いこむ。そこは、自分の代わりに女の子サキが生まれた世界で、両親も仲が良く、兄も生きていて、恋人も元気にしているという。

この小説をミステリーとして見ると、その女の子のサキが探偵役となって、サキが生まれた世界とリョウが生まれた世界の違いを一つ一つ調べて、その違いがどういう理由で生まれたのかを推理していくという話になる。しかし、その違いというのが、調べれば調べるほど、サキ側の世界は素晴らしく、リョウ側の世界は悲惨だということが分かってくる。その理由の元を辿れば、言うまでもなく、リョウが生まれた代わりにサキが生まれたからだ。リョウは家庭環境の悪さから無気力、無感動な人間になってしまったのだけど、サキはリョウとp違って、明るく聡明で面倒見がよい。環境の問題でリョウにはどうすることもできなかったと思っていたことが、次々とリョウでも変えることができたと判明していく。主人公に感情移入していると読めば読むほどヘコむ小説。

最後にも救いがあるわけではない。結局、全部自分のせいだ、ということが検証されたあとで、リョウは自分の世界に戻ってくる。もちろん、時間が戻ったりしたわけではない。

と、ここからがよく分からないんだよね。どうやらリョウにこんな地獄巡りをさせたのは、死んだ恋人のノゾミらしいのだが、その理由が「ノゾミが望んでも得られなかったものをリョウが拒んでいるから」らしい。しかし、それが何なのか分からないんだよね。いくつか候補を考えてはみたものの、どれもしっくりこない。それと、一番最後に母親からメールが来るのだが、それをリョウがポジティブに解釈したのか、ネガティブに解釈したのかも分からない。Webで検索してもあまりはっきりしたことを書いてあるところがないし、サイトによっては「ラストは解釈が分かれる」と書いてあるところもある。

なんか、読み間違えているか、読み足りないところがあるような気がして、読み終わってからもやもや感が消えない。読んで面白かったと言えば、面白かったんだけど、オチが分からないので、どう評価していいのやら分からないという感じ。おれと同じ目に会いたくない人には正直おすすめしない。

2007-01-15

米澤穂信/クドリャフカの順番

米澤穂信のクドリャフカの順番を読んだ。氷菓、愚者のエンドロールに続く、古典部シリーズ第3段だ。

今回は今までと違って、折木奉太郎一人の視点ではなく、千反田える、福部里志、伊原摩耶花の古典部全員の視点をザッピングするように書かれている。と言っても三人称になったわけではなくて、なんと全員一人称で書かれている。思えば、米澤穂信の小説は全て一人称だ。何かのこだわりがあるのかもしれない。

ということで、この小説は、口調の異なる4つの一人称が入り乱れて展開されることになる。これは三人称に比べて、4種類の文体が楽しめるので、読んでいて楽しい。単純に複数視点の小説としてもよくできている。古典部のメンバーのそれぞれの話が最終的には一つの事件に収束していくのはセオリー通りだが、さすがだ。個人的には、今まで省エネ主義というポリシーに反して勤勉に働いていた折木が、単独主人公ではなくなったおかげで、3日間ずっと店番しかしないという怠けっぷりが面白かった。もちろん最後はきっちり締めるんだけど。

全体を見渡すと、前半は、文化祭の様々なイベントを、今までのキャラ総出演 + ユーモア溢れる描写で盛り上げるという、米澤穂信らしくない、サービス精神旺盛な感じ。しかし、この路線でもいけるんじゃないか、と思うくらい面白い。後半は、200部の文集の販促と十文字事件の解決になっていくのだが、この事件を通じての古典部メンバーがそれぞれ得られた教訓というのが、これまた面白い。

前作「愚者のエンドロール」のレビューでも書いたように、このシリーズは、古典部メンバーが協力しなければ事件が解決しないのに、そのことが必ずしもポジティブに書かれているわけではない。この作品でも、福部里志は、折木奉太郎に対抗すべく一人で事件の解決に乗り出すのだが、失敗して、ほろ苦い結末になる。千反田えるが得られた教訓も千反田の自立を促すものである。古典部がこれからどうなっていくかというのは、表面的な穏かさとは異なり、なかなか緊張感があるものになるのではないだろうか。

そして、もう一つのテーマは、才能ということになる。犯人が犯行を決行する動機になったのもそうだし、福部里志が折木奉太郎に劣等感を持っているのもそうだし、伊原摩耶花のエピソードも才能のない者の悲哀というのが描かれている。しかし、話としては面白いのだけど、個人的にはこのテーマにはあまり共感できない。というのは、ぼくは、自分に才能があるかどうかで悩んだことはないんだよね。別にスポーツ選手になりたかったわけではないからね。いくら頭がよいと言っても、生まれつき知識がある人間なんていないわけだし。考えても不毛だからね。まあ、悩みというのは、分かってても悩むものなんだろうけど。

最後に題名について。今回も実際に読まないと意味不明なタイトルだが、今までの古典部シリーズの中では一番気が効いていると思った。ちなみに作中でも解説されるが、クドリャフカというのは、スプートニク2号に乗り、宇宙に初めて行った犬である。ぼくはライカという名前は知っていたが、クドリャフカという名前は知らなかった。このあたりの経緯はWikipediaに詳しい。どうやら今ではクドリャフカという名前の方がメジャーなようだ。

2007-01-10

米澤穂信/愚者のエンドロール

氷菓の続編「愚者のエンドロール」を読んだ。氷菓のレビューでは、ミステリーではなくていいものを無理にミステリーしようとしているところが独特、と書いたけど、これは一転して、素直にミステリー小説を指向している。あとがきによれば、バークリーの「毒入りチョコレート事件」を下敷きにしているとのことなのだが、ぼくは幸いにして(?)未読だったので、この小説は十分に楽しむことができた。読んだあとで「毒入りチョコレート事件」を検索したら、確かに話の骨格はかなり近い。

面白かったのは2点。主人公の折木奉太郎の推理は、一人で行う1回目は失敗して、古典部の面々の洞察を加えることで2回目は成功するのだけど、そのことに奉太郎は無自覚なんだよね。皆で成し遂げたぞ!という感じじゃない。皆で協力すればうまくいくとポジティブに考えることもできるだけど、逆に言えば、この小説の登場人物は協力しないと失敗するような、何らかの欠陥を抱えているとも言えるわけで、そのことに対して作者は突き放しているのが面白い。今後まだまだ古典部シリーズは続くらしいけど、安易に共依存的なオチにはしないでほしいなあ。

もう一つは、どうもテーマが自意識過剰批判っぽいんだよね。作者が自意識過剰っぽいのに。それとも批判と見せかけた自意識過剰肯定なんだろうか。小市民シリーズも同様のテーマを別のアプローチで探っている作品なので、この作者の大きな創作テーマなのかもしれないね。

2007-01-09

米澤穂信/氷菓

米澤穂信の氷菓を読んだ。この作品で「角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞」を受賞し、米澤穂信はデビューしている。しかし、ラノベにしては地味なタイトルだね。しかも、この小説は60年代の学生運動をモチーフにしている。よくこんな題名と内容の組み合わせで賞を獲れたものだと感心する。

話は特に劇的な葛藤があったりするわけではなく、非常に淡々と進む。「春期限定いちごタルト事件」に似ているね。いや逆だけど。それでも、しっかりとした文体と練ったプロットで退屈せずに読める。というか、退屈さと面白さのギリギリのところを狙っているのかもね。

デビュー作にはその作家の全てが集約されるとよく言われるけど、この氷菓にもその後の小説で見られる自意識過剰気味の丁寧さが随所に見られる。特にこの作品では、ミステリーに対する強いこだわりを感じる。一見すると、設定や舞台を工夫して定型のミステリーから逃れようとしているように見えるが、ここまでくると逆にミステリーにしない方が自然だと思われるのに、あえて、ミステリーとして成立させようと努力しているように見える。自然と不自然の境界を探っているような感じ。そういう試みがデビュー作にして早くも独特の作風を生み出す要因になっているような気がする。

しかし、オチが脱力。榊原郁恵の「夏のお嬢さん」じゃねーか。古いか。それとも作者のあとがきによると、4割が実話らしいので「氷菓」の部分が実話なのだろうか。

2007-01-06

米澤穂信/さよなら妖精

春期限定いちごタルト事件夏期限定トロピカルパフェ事件に続いて米澤穂信のさよなら妖精を読んだ。

この小説は、ユーゴスラビア紛争をモチーフにしている。スロベニア独立の2ヶ月前の91年4月が物語の始まりとなっている。91年かあ、おれ、どうしてたかなあ。ストリートファイターIIばっかやってたような気がする。そのころ、ユーゴスラビア紛争なんて全然気にしてなかったよなあ。

ユーゴスラビアと言えば、サッカーでは日本に非常に関係が深い国なので(クロアチアは98年、06年と2度W杯で対戦。名古屋で活躍したストイコビッチはセルビア共和国出身。現日本代表監督のイビチャ・オシムはボスニア・ヘルツェゴビナ出身)、今では、それ経由で紛争のことはある程度知っているし、最近まで紛争や難民のニュースが絶えないところだから、耳にすることも多い。

もちろん、91年高校生の登場人物たちは、ユーゴなんて何も知らない。そんなところから始まって、ユーゴ人のマーヤと出会い、「日常の謎」を解きつつ異文化交流をするのが、前半の話。これはこれで魅力的な話なんだけど、後半、その日常がユーゴスラビア紛争と否応なく接続したときに、その日常と紛争の対比が、主人公たちの戸惑いや憤りをうまく表わしていて、主人公の感情にすんなりと同調することができた。素直に素晴らしい小説だと思うね。

文体はやっぱり非常に抑制が効いていて(ここで言う抑制というのは、表現が控え目ということではなくて、ちゃんと相対化されていると言うべきかな)、安心して読める感じ。あと、ちょっと下品な話をすれば、マーヤが異邦人ということで、うまく萌えキャラの記号性が隠蔽されているよね。素朴でリアクションが大きいという「属性」が、外国人だからと理由付けできるみたいな感じ。もう一人のヒロイン、大刀洗もクールキャラという定型な枠組みと、そこからの崩しがあって、いいね。やっぱりライトノベルというのは(この作品をライトノベルと言っていいのかは分からないが)、いかに記号を取り入れるか、そしてそこからいかに崩すかというところがポイントなんだなと思った。下品な話だけど。

2006-12-29

米澤穂信/夏期限定トロピカルパフェ事件

これは前作よりもさらに面白いね。前作が同じ登場人物の短編集といった感じだったのに対して、今回はより洗練された連作短編になっている。以下、激しくネタバレ。

まず、小鳩 vs 小佐内でくるとは思わなかった。途中の章で煽りまくって、最後、小鳩君が小佐内さんを問い詰めるシーンはいい緊張感があったね。全4作予定の第2作目じゃなかったっけ? 出し惜しみしない人なんだねー。

そして、今回もちゃんと本格ミステリーとして作られている。描写はとてもフラットで、一読して気になるところはちゃんと伏線として使われるようになっている。というか、この作者は自分の小説が読者にどう読まれるかに非常に気を使っていると思う。細かい矛盾点まで、きっちりと解消するか、伏線にするかのどちらかの処理をしている。ちょっと貴重面すぎるんじゃないかと思うくらい。本格ミステリーの方面はあまり詳しくないんだけど、他の本格の作品も皆こんな感じなんだろうか。

と書くと、非常に冷たいかっちりした小説だと思われるかもしれないが、ある面ではそうなのだが、今回は細かい人間の機微も書かれている。村上春樹のように表面ではドライに描写して感情を浮き上がらせる手法。ハードボイルドというのかな。最後喫茶店に小鳩君が一人残される場面はなかなかの哀愁が漂っている。次作が気になる引きかただね。小鳩君と小佐内さんの和解はあるのか?(あるだろうけど) どう和解するのか。

この作品を読んで、この作者が信用できることは分かったので、しばらく作者買いすることにした。

2006-12-24

米澤穂信/春期限定いちごタルト事件

これは面白いっす。一応連作ミステリーの形式なんだけど、劇的な事件が起こるわけでもなく(これをミステリー用語では「日常の謎」と言うらしい)、淡々と話が進むわけだけど、抑制の効いた一人称と豊富な語彙で丁寧にキャラクターを描写していて、非常に心地良く読める小説です。

個々のエピソードは本格ミステリーっぽい謎解きが中心なんだけど、謎自体は結構予想がつきます。これは謎が単純というよりは、推理のミスリードがなく、ヒントが的確(すぎる?)なのが原因で、全然悪い印象はないです。きっと、こういう公平さが作者のこだわりなんでしょう。

主人公の小鳩君は、頭がよく回りと口が達者なんだけど、過去になんかトラウマ的なことがあり、トラブルを避けて小市民を目指しているという設定。ちょっと西尾維新の戯言シリーズのいーちゃんっぽいかな。ヒロインの小佐内さんは、小鳩君以上に周囲に注意を払い、トラブルから徹底的に身を隠すことを心掛けている。しかし、その実体は、自分に危害を加える者に仕返しすることに快感を覚えてしまう、復讐狂とでも言うべき性格だったのだ!

この設定がいいよね。普段はおどおどしているのに、復讐となると途端に嬉しそうにする小佐内さんを想像するだけで面白い。まあ、実際にそれほど苛烈な復讐をすることはなく、そんな描写はないんだけど。復讐と言えば、最近読んだ清水マリコのゼロヨンイチロクとネペンテスにも遠山遠美という復讐娘がいて、これもよかった。そのうち復讐っ子っていうジャンルができるかもね。

難点を言えば、連作短編集としては、全体の流れの伏線が個々のエピソードから独立しすぎていて、あまり連作の良さがないかなって思う。一つの話を分解して、それぞれの短編にちりばめただけって感じ。もっと有機的に短編同士が結合するような感じだったら、なおよかったと思う。