前作『A級の敵』から10年ぶりの新刊らしい。読んでいてまず気がつくのは、物語のフォーマットが変わっているということ。『敵は海賊』シリーズというのは、基本にヨウメイと海賊課の対立があって、さらにこの世の法則を変えるような厄介な敵が現われて三つ巴の戦いになるのだが、今回はヨウメイの策略(遊び?)に周りが巻き込まれていくという話。
「海賊課という存在は、ある意味でわたしが生み出したもの、わたしの観念が生じさせたものであって、わたしの分身のようなものなのだ」なんていう件は、初期の神林っぽい。しかし、全体的には今までの『敵は海賊』シリーズとは雰囲気が異なっている。
まず、ラテルがかなりの常識人っぷりを発揮している。最も海賊に近い組織のはずの海賊課の人間が、この作品で一番まともな人物になっている。まあ、このラテルの大人化は、このシリーズでずっと続いていて、前作から登場のセレスタンはこれを補うためにキャラクターと言える。
この作品で再三語られる、海賊だからと言って違法な手続きで殺していいのかという命題は、『海賊版』冒頭の有名な文句「敵は海賊。一匹残らず射ち殺してやる」や、『不敵な休暇』で明らかになる特殊捜査官の存在と比べると、もはや矛盾しているというレベルだ。最後の方のラテルとリジー・レジナの会話は、今までのシリーズの中の海賊課像の否定とも取れてしまう。『グッドラック』が『雪風』の乗り越えを目指していたように、これからの『敵は海賊』シリーズも新しい展開を見せるかもしれない。
そして、安全なところから海賊を虐殺しまくるモーチャイの幼児性というのは、現実のマスコミや2ちゃんねらーやネットイナゴなどへの批判とも取れる。こういうのは今まで神林作品には見られなかったことだ。神林氏が今のテンションで『敵は海賊』を書いたらこうなったということだろうね。全盛期のテンションを再現しきれなかった前作『A級の敵』に比べると、こっちの方がアリだとは思う。
また、正義と言えばシリーズ3作目の『海賊たちの憂鬱』があるわけだけど、『海賊たちの憂鬱』はマーマデュークという不死の人物がいて、正義のために人間や機械の精神に直接影響を及ぼす攻撃をしかけてくるという話。恐らく『正義の眼』は、この作品をかなり意識しているとは思うが、中身のテーマはかなり違う。『海賊たちの憂鬱』のマーマデュークの正義は、世間で認識されている一般的な正義の概念に近い。タイトルにもなっている「憂鬱」は、直接的にはマーマデュークの精神攻撃によって引き起こされるわけだが、もう一方で、世間一般の正義、もしくは倫理というものと、海賊たちが生きる現実が乖離していることへの苛立ちのようなものが裏としてあったと思う。
『海賊たちの憂鬱』での「海賊」というのは、現実の生々しさ、肉体性のようなものの比喩で、我々が生きていく上での現実的な困難を指す、と僕は考えている。そう考えると『海賊たちの憂鬱』のテーマというのは観念的なものと現実性の乖離、それによる苛立たしさだったのではないだろうか(その観念には「郷愁」や「愛情」のようなものも含まれるのがこの小説の興味深いところでもあるんだけど、それは別の話か)。『海賊たちの憂鬱』は、シリーズ中一番難解な作品なので、間違っているかもしれないけど。
それに比べると、『正義の眼』の正義というのは二つあって、一つはモーチャイの幼稚な正義。もう一つはラテルのある種の実感のある正義。ラテルは作中で「正義だなんて思っていない。(中略)自分は悪だな、と、そう思います。自分も含めて、この世から悪がなくなればいい、そういう、願いです」と言っているのだが、ラテルがこのような大きな視点で考えて悪か正義を判断するというのは、ある意味正義ということでしょう。昔から感覚派な神林長平だが、50歳も過ぎて余裕と自信を感じさせるね。それがラテルの成長に繋がっているのだと思う。
で、個人的な評価だけど、正直言って、この『正義の眼』はあまり好きじゃないね。『グッドラック』もあまり好きじゃないしね。神林長平がこういう変化を見せたか、というようなメタ視点じゃないと、どうも楽しめない。『グッドラック』のときも思ったんだけど、表面的な非情さというのが、最終的な結論にも結びついているわけではないと思うんだよね。『雪風』で言えば、たとえ零が雪風に裏切られたとしても、我々は戦闘機に乗ってジャムと戦わなければならないし、『敵は海賊』でも「正義」というのは世間で決められているものではなく、自分で実感として見つけなければならない、というのは十分従来のシリーズで感じ取れると思うんだよね。そう思うと、『グッドラック』にしても、『正義の眼』にしても、物語としては蛇足に思えてしまう。読解の幅が狭くなってしまっているような気がするんだよね。
しかし、神林ファンにとっては興味深い作品なのは間違いない。シリーズ作品だけに、神林長平がどういう変化を遂げたのか、今後どういう方向に行くのかというのが見えやすい。まあ、『正義の眼』は、シリーズファンと神林ファンのための作品と言えるだろうね。
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