金偏に殺と書いてツルギと読むらしい。標準外の漢字なのでWebではカタカナ表記になっていることが多い。ここでもそれに倣う。
薄い、高いというのは毎回なので今回からは省略しよう。
今回は「千刀」ということで千本の刀が登場するのだが、バンバンと刀を使い捨てにするのかと思ったら、結局全然使わないんだよね。折っちゃいけないという問題はあるんだけど、もうちょっと殺陣頑張ろうよ。まあ、西尾維新にまともな戦闘描写を期待しても仕方がないような気もするが。今回の敵はどうも作中最弱だと思われるので、次巻以降に期待するか。
しかし、捻りがないよなあ。化物語以上に捻りがない。西尾維新の面白さは、空虚なキャラの中に、リアルな人間性が表われることで、読みの多様性が生まれるとこにあると思う。キャラクターの記号的な要素と人間的な要素の乱暴な接続が見る側になんとも言えない感情をもたらすんだよな。
前にも言ったかもしれないが、僕の好きなクビシメロマンチストで言えば、非常に記号的なキャラクターとして書かれている葵井巫女子が嫉妬で殺人を犯し、後にそれを悔いて自殺する。いーちゃんは記号的な殺人者の零崎人識に強く共感するが、自分勝手な殺人者の葵井巫女子は許さない。そして彼女を自殺に追い込む。彼らの二面性はほとんど理解できないが、なぜか共感できるような気もする。それに友人に優先順位を付けて殺してしまう貴宮むいみや、それを自然と受け入れてしまう宇佐美秋春の存在も妙なリアリティがある。
こういうところに西尾維新の面白さがあると思うのだが、戯言シリーズの後ろの方の巻やこの刀語でも記号的なところばかりが目立っていて、ちっとも捻りがない。まあ、西尾維新はどこまで自分の作品をコントロールしているのか分からない紙一重の作家だし、読む方も巫女子かわいい!零崎かっこいい!っていうのが多いから、作者もそれに合わせているのかもしれないが、僕としてはクビシメロマンチストの方向性をもうちょっと追求してほしいと思うのだが。
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