2007-09-21

米澤穂信/インシテミル

(容赦なくネタバレします。注意してください)

インシテミル
米澤 穂信
文藝春秋
2007-08
単行本

この小説はメタミステリーなところがあって、あまり良いミステリー読みとは言えない僕としては、ちゃんと作者の意図を理解できているのか自信がないのだが、とりあえず思ったことを素直に書いておくことにする。

米澤穂信は、今まで本格ミステリー作家でありながら、本格らしいガジェットやギミックを避け、「日常の謎」派として、青春小説とミステリーをミックスしたような作品を発表し続けているわけだが、今回の『インシテミル』ではベタベタなクローズド・サークル内の殺人ゲームをやるらしい。ちなみに『インシテミル』はThe Incite Millと英題がついていて、それと「淫してみる」をかけたものらしい。

ということで、早速買ってきて読んだのだが、まず、驚いたのが、1ページ目の<暗鬼館>見取り図。クローズド・サークルと言っても、山荘や孤島の洋館みたいな感じなのかと思ったら、幾何学的に17個の部屋が円形に配置されているという異様な建築物。本格というか新本格のノリだ。

ストーリーの概要はこうだ。まず、この暗鬼館に12人の人間が集められる。7日間をここで過ごすだけで2千万円の給与が出るのだが、さらに他人に見つからずに人を殺したら、それが2倍(殺した人数で倍々になる)になる。また、誰かが殺されたときに犯人を当てることができたら(つまり、探偵役になれば)、3倍になる。というわけで、この暗鬼館の中で殺人ゲームが行なわれるわけだが、そこは米澤穂信らしく素直にはいかない。この小説の中では6人が死ぬのだが、2人は自殺で、1人は事故、3人が殺されるのだが、そのうち1人は衆人の中で衝動的に殺される。残りの2人は犯行が一度で行なわれてしまうので、実は大袈裟な装置の割に殺人事件らしい事件は1回しか起きないのだ。

また、この殺人事件のトリックもあまり難しくはない。普通に読めば、大抵の人はわかると思う(細かいロジックはともかく)。暗鬼館に集められた12人にはそれぞれ別の武器が支給されるのだが、ということは、殺害方法と犯人は密接に結びつけられる。逆に言うと、ここにトリックの入り込む余地があるわけで、読んでいる途中でなんとなく犯人はわかってしまう。だから、コテコテのミステリーという割には、犯人当てにはあまり凝っていない。

で、これだけなら、ちょっと失敗したミステリーになってしまうのだが、この小説の面白いところは、終盤、主人公たちがこの殺人ゲームに対して論評を加えていくところだ。このゲームでは、探偵役の推理に対して多数決で犯人が決定され(真犯人でない場合には後で探偵役にペナルティがある)、犯人は監獄に放りこまれてしまう。で、終盤、この監獄に放り込まれた2人がミステリーマニアで、このゲームをミステリーとして見た場合にどうなのか、と話し合う。テーブルに置かれたインディアン人形はクリスティーの『そして誰もいなくなった』が元ネタだとか、部屋に鍵がかからないのは密室が作れないから駄目だとか。部屋に鍵がかからないところは中盤でのホラー要素のポイントだったので、こういう視点の変更は面白い。

しかし、このあと、主人公たちは監獄を抜け出してゲームの世界に戻っちゃうんだよね。そして、犯人を指摘して、いくつかシニカルなオチがあって、日常に戻っていくわけだけど、この流れはどう解釈すれば良いのだろう? とても(新)本格っぽいガジェットではじまったわりに、どんでん返しがあるわけでもなく、叙述トリックがるわけでもなく(見落してないよね?)、かと言って、メタミステリーも途中でやめちゃうし、正直中途半端な印象がある。ヒロインの須和名の存在も謎だ。ある種の傲慢さの象徴なんだろうけど、いまいち存在意義がよくわからない。よねぴーのリビドーをぶつけてみたのだろうか。そう言えば、須和名と関水って千反田えると伊原摩耶花に似てるよね。『身内に不幸がありまして』も名家のお嬢様が出てきてたなあ。

というわけで、まあ、面白かったけど、最後の中途半端感が残った作品だったかな。僕の考えているようなことなんて全て折り込み済みのはずの米澤穂信になぜこんなオチにしたのか聞いてみたい。全体的には、トリックよりロジックで、米澤穂信らしい、ヒネりが効いたところがたくさんある。しかし、なんか「淫してみる」ではないよね、この作品内容自体は。そういう派手さを期待すると肩透かしを食らうかも。

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