2007-11-09

西尾維新/きみとぼくの壊れた世界

最近『不気味で素朴な囲われた世界』が発売されたので読もうかと思ったのだが、この『きみとぼくの壊れた世界』が前作だということでこちらから読むことにした。

読み終わってまず思ったのは、「普通の小説」じゃんということ。こう言ってはなんだが、西尾維新も普通に面白い小説書けるじゃんと思った。この小説を単純に読解すると、他人のために所謂「決断主義」的な決断を繰り返していった主人公が最後にその欺瞞に耐えられなくなる話だ。けど、これは2007年に読むからそう読めるのかな。この小説が書かれたのは2003年なんだけど、リアルタイムで読んだらもっと印象深い作品になったかもしれない。

しかし、読みやすいがゆえに駄目なところも散見される。まず、犯人の動機。シンプルすぎるし、他にもやりようがたくさんあるでしょ。あと、メタミステリ的言及が冗長すぎる。大したトリックじゃないんだから何ページも長台詞やるなよ。結末も出来の悪い純文学みたいになっちゃっているんだよなあ。

全体的な印象としては、わかりやすくなった『クビシメロマンチスト』という感じ。しかし、読みの多様性はクビシメロマンチストの方が上じゃないかな。クビシメロマンチストはひきこもり的感性とその失敗、きみとぼくの壊れた世界は決断主義的感性とその失敗という大きな違いはあるんだけど、自分の知らないところで自分が原因で殺人が行なわれている点で共通している。それに対して、いーちゃんは怒って犯人を自殺に追い込む、様刻くんは自分に嘘をついて受け入れるわけだけど、様刻くんの失敗はやっぱりちょっと単純すぎる。いーちゃんみたいにひきこもろうと思っても決断主義になってしまうという方がより決断主義批判としても面白く読めると思う。

でも、様刻くんの失敗の書き方の方が小説的にはうまい気もする。『もんだい編』までなら間違いなく傑作だよね、この小説。あとは、箱彦の告白と様刻くんが病院坂に心境を吐露するところしか見所がないけど。

あと、クビシメロマンチストと比較して面白いのが、零崎人識と病院坂黒猫。どちらの存在も主人公の一番の理解者であるが、大変な曲者。零崎は連続殺人犯で、病院坂は保健室で日常的に売春を行なっているようだ。僕は、ずっと零崎をどう読めばいいのかわからなくて、西尾維新は単純に自分がカッコいいと思うキャラを書いただけなのかとも疑っていたのだが、病院坂の売春を見て、零崎もある程度批評性を持って書かれたキャラだということが確認できた。零崎については色々深読みしすぎていたかなあと思っていたが、そうでなかったようで一安心。

まとめると、きみとぼくの壊れた世界は単品でも面白い小説だけど、クビシメロマンチストの副読本としても面白いと思う。両方合わせて読むのがおすすめ。

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