2007-10-05

グレンラガン最終回

どうも春アニメはオチがいまいちなことが多かったのだが、このグレンラガンもなんとも変な方向に向かってしまったようだ。あの第4部に入ってからの空虚としか言いようのない超インフレは何なのだろうか。トップをねらえあたりと比べると、ハッタリでも話や設定の辻褄を合わせようという気が全くない。例えば「敵の数、無量大数!」なんて台詞があったりするけど、辞書で調べると無量大数って10の68乗じゃないですか。有り得ないじゃないですか。ハッタリ効かすにしても「京」くらいの単位にするじゃん。なんかこの「無量大数」的な大雑把さが、作品全体にあって、一つ一つのことを取り上げて考えるのが馬鹿馬鹿しくなる。

ここまでリアリティが欠如していると、登場人物の行き死にも恣意的な感じがしてくるんだよね。あのキタンのカミナのリプレイのような死に方とか、最終回のニアとか。何が出来て何が出来ないかの基準がないから、どうして死ななきゃいけないのか納得できない。ネットで調べるとキタンはゲッターのパロディらしいね。理屈がない世界だから、そういうお約束が共有されてないと楽しめないのかもしれない。

ちょっと穿った見方をすると、グレンラガンの最終形態は、間違いなく過去最強ロボットだし、おそらくこれからもこれ以上強いロボットが出ることはないと思うので、そういう意味で歴史に名を残したかったのかもしれない。下品な邪推だけど。

テーマ的にはどうなんだろうね。アンチスパイラルは人類の進化が宇宙を滅ぼすと言って、人類を攻撃したわけだけど、それは回避できたのだろうか。第3部で導入した社会の複雑性の問題は全部うっちゃられたままなのだろうか。ヒロイック・エイジなんかもそうなんだけど、具体的に色々起こりうるであろう問題に対して、どうも抽象的に無かったことにして回避するようなストーリーになっていると思う。まあ、ヒロイック・エイジはギリシャ神話の焼き直しなところがあるので、銀英伝的な突っ込んだら負けオーラがあるのだが。しかし、グレンは第3部でそういうのを導入したわけだからね。

こういう、ちょっと現実逃避気味のポジティブさが、00年代の想像力というやつなのだろうか。ベクトルは反対だけど、コードギアスも非常に浮ついた話だよな。これも「あえて」というやつなのかな? 馬鹿馬鹿しいのは分かっているけど「あえて」ノってみるみたいな。コードギアスもグレンラガンも間違いなく面白い作品ではあるんだけど、馬鹿馬鹿しさに耐えきれないものがある。逆に言うと、今の若い人達には、エヴァもトップをねらえも馬鹿馬鹿しく見えてるのかもなあ。だから、行くとこまで行っちゃえみたいな(と言っても作っている側はまだまだ僕よりは年上だろうけど)。確かにエヴァ圏を脱出できなかった、ラーゼフォンやエウレカセブンよりは、コードギアスやグレンラガンの方が面白いのだが(もちろん、ラーゼフォンやエウレカの良さもありますが)、正直言って、やっぱりエヴァの方が面白い。結局、世代論的なところに落ち着いてしまうのだろうか。

まあ、色々、というか、かなり文句言ったような気はするけど、春アニメで一番面白かったのはグレンラガンだったのは間違いない。どれか1つ見る価値のあるアニメは?と聞かれたら、迷いなくこれを挙げるね。ガンダム00はリアル路線らしいから、見比べると面白いかもしれない。

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