2006-12-28

作家ほっとタイム 現代作家インタビュー集 神林長平(その1)

近くの図書館の新着資料のビデオに『作家ほっとタイム 現代作家インタビュー集 神林長平』なんていうものがあったので見てみた。神林長平は、ぼくが高校のころからの大ファンで、著書は30冊以上は読んでいると思う。制作は2000年とあるので、インタビューの時期は『グッドラック』の発売後くらいだね。内容は、50分間神林氏がずっと椅子に座ってインタビューに答えるという構成。場所はおそらく松本の自室だと思われる。幼年期〜デビューまでの話が中心で作品についてのコメントはあまりない。猶予の月の話がちょっと出るくらい。

さて、ビデオを見た感想だけど、まず、第一印象としては、氏の容姿や話し方がオタクっぽいなあ、典型的なひきこもりっぽいなあ、と真に失礼ながら思ってしまった。まあ、予想はしていたが。大学時代に友人の女の子が、おれの持っていた本の著者近影を見て、オタっぽさに吹き出していたが、当時は失礼なやつだとしか思わなかったが、その気持ちがちょっとわかった。

インタビューは、幼年期から現在に至るまで、基本的に時系列に沿って進んでいく。ファンとして面白かったのは、幼稚園に通っているときに『おゆうぎ』をさせられて、氏は、なんで子供だからってこんなことをしなきゃならないんだろう、と思っていたというちょっとおませなエピソード。「なんでこんなふうに踊らされなければならないのだろうと思った」という氏の発言はファンサービスで言ったかと思って苦笑した。(氏の単行本には本のはじめに箴言風の短い文章が必ずあるのだが、その中に「踊っているのでないのなら、踊らされているのだろうさ」というのがある)

その後、氏が長岡工業高等専門学校に入学したころから、話がちょっと暗くなっていく。大学受験したくないから高専に入ったという氏は、そのことを後悔しているという。「あのころちゃんと勉強していれば、今ごろもっと教養のある人間になっていたに違いない」のだとか。続けて、子供はやはり詰め込めるときに詰め込んでおかなきゃだめだ、と述懐していた。個人的には大学(大学院でも)に行ったところで、教養があるかどうかはまた別の話だと思うのだが、まあ、それは大学に行ったことがある人間の考えなのかもしれない。

話はここらへんからが本番だ。高専を卒業した氏は、自分が何者なのか分からなくなったという。集団生活すると自分が消えてしまうと感じてしまったそうだ。そこから氏は、親には大学に入る勉強をするといいつつ作家を目指そうと考えたらしい。作家なら一人でもできる、自分の身分を保証する作家の肩書きがほしいというのは、後の偉業を考えれば非常に素朴な動機である。氏のデビューが26歳のときのはずだから、高専卒業時の20歳から、おそらく5、6年の苦悩の日々があったと思われる。

それで、いざ書こうと思った氏が戸惑ったのは、文を書こうと思っても漢字が書けない、ということと、漢字をひらいて書く、つまり何をひらがなで書き、何を漢字で書いたらいいのか分からない、ということだったらしい。これもまた基本的な話だ。ブログを書くぼくでさえ考える。さらに題材として、自分の中に何も書くべきものがない、ということにも気がついて困ったらしい。だから、人工的に題材を作らなければならない、もしくは、どこからか書くべきことを見つけてこなければならないと考えたのだとか。

これは非常に神林長平的だなと思った。自分に才能があるとか、書くべき理由があるとか、小さいころから書くことが好きだったとか、そういう前提から出発してないんだよね。自分自身に対しても、そういう根本的なところから問い直しているんだなと思った。よく作家のインタビューで、自分がいかに作家として生まれついたかを語っているのを見るけど、ああいうのはどうも胡散臭い。極論を言えば、人が生きる理由なんて内在的にあるわけでないし、どこかにあるものを自分で選び出さないといけない。と、ぼくはそう思うんだけどね。

長くなったので、続きは次エントリーで。

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