2007-04-10

ユリイカ2007年4月号 特集 米澤穂信

米澤穂信 - 青土社

表紙は「春期限定いちごタルト事件」「夏期限定トロピカルパフェ事件」の表紙も書いている片山若子による「さよなら妖精」の太刀洗万智。

ユリイカで米澤穂信である。ユリイカと言えば、本来は詩と批評の雑誌。最近では、ちょっととんがったサブカルチャー近辺の人を積極的に取り上げている雑誌だ。しかし、米澤穂信はとんがってるか? この特集の副題に「ポスト・セカイ系のささやかな冒険」とあるし、編集後記には、「さよなら妖精」とセカイ系の関連について述べらているから、編集部は米澤穂信をアンチ・セカイ系として取り上げたかったのかもしれない。しかし、それはどうかと思うね。

ぼくは「セカイ系」という言葉が「動物化」と並んで嫌いだ。どうも、サブカルの人々のオタクの取り上げ方には悪意を感じてしまう。セカイ系なんてのは物語のフレームの一つにすぎないわけで、要するにボーイ・ミーツ・ガールのメタファーとして大きなセカイがあるだけだと思う。男の子と女の子の関係が世界の存亡で表現されているというだけでしょう。非日常的なヒーローとヒロインの関係が、ヒーロー側だけ日常に降りてきている過渡期の現象だよね。最近じゃ、そんな大きな話は必要としなくなってきて、町内で済むようなうる星やつら型の話が多くなってきてると思うし。

それに、個人の問題が外部の大きな問題にリンクするってのは、ハリウッド映画でもよくある話でしょ。主人公のコンプレックスが解消されると、なぜか、他の様々なことがうまくいくっていうのは、所謂ハリウッドメソッドの一つだよね。

そんなに都合の良いことは現実には起きない、と言うために、どうして、サブカルの人がこんなに大量の言説を消費しなきゃならないのか、正直言ってぼくには理解できない。そういう文脈で米澤穂信を担ぎ出したのだとしたら非常に残念だね。もっとポジティブに評価できるところがたくさんあるでしょ。

で、中身だけど、書き下ろしの短編が一つ、対談が二つ、その他は批評という構成。

書き下ろしの短編は、過去の米澤作品の人物が再登場するということが予告されていたのだけど、「Do you love me?」あたりの人物かとおもいきや、なんと、表紙にもなった太刀洗万智と守屋路行。太刀洗はルポライターになり、守屋は大学の講師になったようだ。推測だが、1992年に18歳だった彼らが、2007年現在35歳になったということなんじゃないだろうか。内容は、テーマが独り善がりの正義とマスコミ的好奇心ということで、らしくないテーマだと思った。新シリーズになるらしいので、様子見って感じだな。

対談は、それぞれ笠井潔と滝本竜彦とのもので、それなりに面白かった。特にネット小説黎明期がテーマの滝本との対談は、90年代末当時の様子が伺えて興味深い。

問題は批評だね。全部で12本あるが、大きく分けると、米澤作品を、ラノベとして読んだ批評(斎藤環、佐藤俊樹、福嶋亮大)、ミステリーとして読んだ批評(巽昌章、松浦正人、蔓葉信博)、その他の視点(古谷利裕、仲俣暁生、円堂都司昭)、批評じゃないもの(桂島浩輔、浅野安由、前島賢)となる。

まず、この中でラノベ系の3人は論外。興味がないなら批評など書くべきではない。つーか、ラノベと言ったらハルヒの話しかしない、ラノベ論者って何なの? カレーにつけるパンみたいなやつってナンなの? それじゃ、本格ミステリーの歴史を繙いて論じる笠井潔に勝てるわけないじゃん。

ちなみに3人のうちの一人、福嶋亮大はブログで白旗を上げている。

仮想算術の世界 「認識のシステム」と「利用のシステム」

引用すると、

率直に言って、特に書くこともないのに無理に書くネタをひねりだしているような評論がほとんどではないかと思います。評論サイドとしては悔しい限りですが、たぶんおおかたの読者には、滝本竜彦さんと米澤さんの対談がいちばん面白く、また刺激的なのではないでしょうか。
なぜか(僕の評論も含めて)谷川流の名前がやたらと出てきますが、谷川さんと米澤さんのあいだにテーマ的なつながりを見てもたいして意味はないのではないか。要は、それくらい無理しないと、とりあえず字数を稼げないということにすぎないのではないか。

率直すぎ。そもそもは、アンチ・セカイ系として米澤穂信を取り上げたユリイカ編集部に問題があるが、ラノベと言ったらハルヒしか読んでいない、5年経っても「動物化するポストモダン」を追従することしかできない批評家たちの責任も大きい。手を抜きすぎ。

ミステリー系の3人は、まずまず。やはり、ストレートに読む分には、米澤穂信はミステリーでしかないんだよね。だから、涼宮ハルヒと比較するより、メフィスト系と比較したり、日常の謎派と分類する方が、まともな話になりやすい。しかし、あのボトルネックの残酷さや小市民シリーズの徹底した抑制の描写には、ミステリーの魅力だけでは説明できない、現代に対する鋭い感覚があると思う。今回の特集にはその辺を期待していたので、残念。

独自系は、小品であるが、それぞれの視点で興味深い話もしている。たとえ書くことがなくてもこの程度の芸は欲しいところ。

全体を見渡すと、細かい間違い(小佐内 → 小山内、「さよなら妖精」の順位を「犬はどこだ」と混同など)が多くて、萎える。

結論としては、ユリイカ程度では、米澤穂信の全体像を捉えられなかったということだね。今のサブカル言説の貧弱さは、他人事ながら、心配になる。東浩紀のせいにするわけじゃないが、セカイ系と動物化のせいで、一気に評論の手抜きが増えたと思う。何でもセカイ系と断ずることで、何か言った気になる評論が多すぎる。今のラノベ、アニメの変遷に批評家たちが全然追いつけてない。週にアニメ10本視聴、月に10冊ラノベを読むことを勧めたい。

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