2007-04-20

樋口有介/ぼくと、ぼくらの夏

ぼくと、ぼくらの夏
樋口 有介

文藝春秋

1991-04

文庫

樋口有介は、最近、東京創元社で復刊が続いていて、再評価されているらしいということで気になっていたんだけど、図書館にあったので読んでみた。

この作品は、1988年発売で樋口有介のデビュー作。高校2年の主人公が同じクラスの女の子と共に、自殺した同級生の謎を追うというシンプルなストーリー。

基本的に青春小説ではあるが、随所にハードボイルド小説からの影響が見られる。文体もそうだし、主人公のキャラもいわゆるタフガイの系列だね。コーヒーと煙草を愛し、クールに軽口を叩いて、女にモテる。しかし、高校生なのにタバコ……。そう、この小説では、老若男女を問わず、登場人物はほぼ全員が喫煙者。ハードボイルド・ワンダーランドである。

あと、出てくる女性、女の子たちが、みんな美女、美少女ばかり。パートナーも被害者も犯人もみんな美女。樋口作品には美女が多いと聞いてたけど、デビュー作から炸裂している。いや、これはいいことだよ。世の小説は、もっと女の子を出すべき。

青春小説とハードボイルドの組み合わせというと、このブログにも登場機会の多い、米澤穂信も同じ系列だね。両者を比べると、80年代と2000年代の違いが見えて面白いかもしれない。樋口有介の方が精神が自由な感じがするね。同級生の自殺を捜査することについて、主人公が、ゲームのように考えていたかもしれない、と少しは反省するんだけど、やっぱりそんなに悩まないんだよね。ほろ苦くなりながらも、自分に自信を持っているのが分かる。これが、米澤穂信の小市民シリーズだと、主人公の小鳩は、ちょっと周りからやっかみを受けたからって、精神的なひきこもりになってしまうんだよね。

米澤穂信じゃなくても、今の小説って、すぐ罪悪感を抱いてしまうというか、罪悪感を抱いてないことに罪悪感を抱いてしまったり、モラルと人間性みたいなものに物凄くナイーヴだよね。自分が人間らしいかどうかでウダウダ悩むことが多い。これは、現代人が弱くなったというよりも、時代的に、コミニュケーションがどんどん高度化してきて、若者同士では、空気が読めるか読めないかだとか、大人になれば、コミニュケーション力とか人間力とかが求められて、常に人間性が審査されるような環境になっているよね。その影響なんじゃないかと思う。

この間、図書館で山田詠美の「ぼくは勉強ができない」をふと手に取ったんだけど、今読むと滑稽だと思ったね。全くアンチテーゼになってないんだもの。学歴社会は崩壊気味で、みんなケータイでメールを打ち合い、mixiは大流行、ブロガーたちはモテ非モテ論争に明け暮れるわけだから。今の若者は、大変だと思うよ。まあ、ぼくも他人事じゃないんだけど。

なんか、樋口有介とは全然違う話になってしまったが、この小説は面白いよ。今、読んでも全然色褪せてない。最近、再評価されているのもよく分かる出来。

0 件のコメント: