2007-03-28

東野圭吾/容疑者Xの献身

容疑者Xの献身
東野 圭吾

文藝春秋

2005-08-25

単行本

この作品は、第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞受賞、『本格ミステリ・ベスト10 2006年版』『このミステリーがすごい!2006』『2005年「週刊文春」ミステリベスト10』でそれぞれ1位を獲得し、五冠と言われているらしい、たまには一般的に支持の高い小説も読んでみようかと思ったので読んでみた。

ここまで評価が高いと、読む方の基準としても厳しくなってしまうのだが、言うほど面白いのかというと微妙だよなあ。まず、トリックは素晴らしい。ぼくは全然分からなかったです。ただ、主人公の石神が靖子の身代わりに出頭する展開は誰でも読めると思うのだけど、そうなると、動機と結末に関心が移るのだが、そこが弱い。特に最後、靖子も出頭し、石神の思惑は失敗に終わり号泣するという終わり方なのだけど、このラストは、イマイチだと思う。まだ、倒叙らしく、石神の目論見が完全に成功するか、もしくは、靖子に完全に裏切られるかの方がいいだろう。愛のためなら人殺しも厭わないという石神の考えは、普通の人間には共感できないことで、異質な考えなのだから、それに対して、倫理的、常識的な結末というのは似合わないと思う。つまり、石神の目論見がうまく行けば、殺人という異常性が強調されるし、石神が裏切られれば、純愛の要素が際立つと思うんだよね。まあ、東野圭吾も素人に、ああだこうだ言われたくないと思うけど。

それと、純愛小説に本格の要素を入れるということについて。やっぱり、トリックなんてものを入れると、小説のリアリティが失なわれてしまうのだけど、その処理がうまくいってないと思う。やっぱり、普通に考えると、愛のためだからって、無理に無関係の人を殺すはずがないんだよね。少し前に読んだ、伊坂幸太郎にしても、米澤穂信しても、ここがうまかった。伊坂幸太郎は、意図的に物語を寓話的にするんだよね。善し悪しではあるんだけど、本格の要素を小説として消化するには良い方法だったとあらためて思った。米澤穂信は、青春小説に突然本格の要素を入れることによって、抑制過多の登場人物の性格を描写してもいるんだよね。本格の人工性が人物の情緒の欠落に繋っている。それに比べると、本作はトリックが浮き上がってしまっている。よく考えると、やっぱりおかしいよなあ、と思っちゃうんだよね。

小説全体としても、視点をころころ変えて、浅く描写していくというのは、ちょっと寂しいところがある。小説というより、テレビドラマ的だよね。まだ感想は書いてないのだけど、直前に「グレート・ギャツビー」を読んでいて、それに比べると、純愛小説としては数段落ちると言わざるをえない。まあ、比べるのが可哀想なのだけど。

まとめると、面白いっちゃ面白いけど、なんか物凄く面白い火曜サスペンス劇場を見た感じ。他の作品も読もうという感じじゃないな。

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