米澤穂信のクドリャフカの順番を読んだ。氷菓、愚者のエンドロールに続く、古典部シリーズ第3段だ。
今回は今までと違って、折木奉太郎一人の視点ではなく、千反田える、福部里志、伊原摩耶花の古典部全員の視点をザッピングするように書かれている。と言っても三人称になったわけではなくて、なんと全員一人称で書かれている。思えば、米澤穂信の小説は全て一人称だ。何かのこだわりがあるのかもしれない。
ということで、この小説は、口調の異なる4つの一人称が入り乱れて展開されることになる。これは三人称に比べて、4種類の文体が楽しめるので、読んでいて楽しい。単純に複数視点の小説としてもよくできている。古典部のメンバーのそれぞれの話が最終的には一つの事件に収束していくのはセオリー通りだが、さすがだ。個人的には、今まで省エネ主義というポリシーに反して勤勉に働いていた折木が、単独主人公ではなくなったおかげで、3日間ずっと店番しかしないという怠けっぷりが面白かった。もちろん最後はきっちり締めるんだけど。
全体を見渡すと、前半は、文化祭の様々なイベントを、今までのキャラ総出演 + ユーモア溢れる描写で盛り上げるという、米澤穂信らしくない、サービス精神旺盛な感じ。しかし、この路線でもいけるんじゃないか、と思うくらい面白い。後半は、200部の文集の販促と十文字事件の解決になっていくのだが、この事件を通じての古典部メンバーがそれぞれ得られた教訓というのが、これまた面白い。
前作「愚者のエンドロール」のレビューでも書いたように、このシリーズは、古典部メンバーが協力しなければ事件が解決しないのに、そのことが必ずしもポジティブに書かれているわけではない。この作品でも、福部里志は、折木奉太郎に対抗すべく一人で事件の解決に乗り出すのだが、失敗して、ほろ苦い結末になる。千反田えるが得られた教訓も千反田の自立を促すものである。古典部がこれからどうなっていくかというのは、表面的な穏かさとは異なり、なかなか緊張感があるものになるのではないだろうか。
そして、もう一つのテーマは、才能ということになる。犯人が犯行を決行する動機になったのもそうだし、福部里志が折木奉太郎に劣等感を持っているのもそうだし、伊原摩耶花のエピソードも才能のない者の悲哀というのが描かれている。しかし、話としては面白いのだけど、個人的にはこのテーマにはあまり共感できない。というのは、ぼくは、自分に才能があるかどうかで悩んだことはないんだよね。別にスポーツ選手になりたかったわけではないからね。いくら頭がよいと言っても、生まれつき知識がある人間なんていないわけだし。考えても不毛だからね。まあ、悩みというのは、分かってても悩むものなんだろうけど。
最後に題名について。今回も実際に読まないと意味不明なタイトルだが、今までの古典部シリーズの中では一番気が効いていると思った。ちなみに作中でも解説されるが、クドリャフカというのは、スプートニク2号に乗り、宇宙に初めて行った犬である。ぼくはライカという名前は知っていたが、クドリャフカという名前は知らなかった。このあたりの経緯はWikipediaに詳しい。どうやら今ではクドリャフカという名前の方がメジャーなようだ。
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