2007-01-02

作家ほっとタイム 現代作家インタビュー集 神林長平(その2)

前エントリーから間が空いてしまった。内容をノートにメモっておいてよかった。

後半になると、インタビューは、作家になるまでの話から氏の発想法や小説をどのように書いていくかという話に進んでいく。氏は、納得して本やニュースを読むことはないという。テレビのフレームの中では激しい戦争をしていても、フレームの外は仲良く握手をしているかもしれない。フレームの中が全てではない。そういうところから考えをめぐらせていくらしい。これもまた「らしい」発言だ。今では、ネットの発達により、リテラシーの一つに挙げたいような考え方だが、氏は25年以上前からずっとこんな考えを続けているのだ。凄いというよりむしろパラノイア的ですらある。

氏は、書く前には自分が何を書こうとしているのか分からないらしい。自分が何を考えているのかを知るために書くというのだ。そう言えば、インタビューの冒頭で「僕は話すのは駄目なんですよ、書かないと考えられない」と言っていたが、氏にとって書くこととは考えることらしい。これもまたエンターテインメント作家とは思えない発言だ。確かに氏の小説は、登場人物の考えていることが次々に変わっていったり、プロットがとんでもない方向に移っていったりする(猶予の月など)。ああいうのは狙ってやっているのか、それとも書いているうちにああなってしまうのか、なんか後者のような気がしてきた。

氏の小説が工学系と言われることについて。氏は、今まで自分の小説が工学系と言われることは無視していたという。長岡高専出身なだけで本人にはそんな意識はなかったらしい。いや、ぼくもそう思っていたんだよね。氏の小説は工学系というわりには、SFらしい科学に対するシミュレーションの精神が欠けていると思うし、登場人物は筋道だった行動は全然しないし、むしろ、突拍子もない展開や理論こそが売りで、とても理系的だとは思えなかった。

しかし、氏は最近自分が工学系だと認識するようになってきたらしい。氏によれば、工学の理論とは、現実の世界に対して理解したり有効に使うために仮説として打ち立てるもので、現実にそぐわないと判明した場合にはそれに合わせて理論を作りかえなければならない。そういうところが自分が小説を書くスタンスと似ているというのだ。これはなるほどと思った。ぼくも理系で、理論や抽象的な考え方をつい上に置いてしまうのだけど、氏にとって理論は常に現実に対する仮説にすぎなくて優位性がない。だから、氏の現実に対してのアプローチがああいう突拍子もないものになるというのは、氏にとっては十分工学的なのだろう。少なくとも小説世界の中では既存の理論や理屈を信じていないのだ。

インタビューの最後に、氏は、自分の今後の方向性なんて考えたくないし、誰かに言われたりもしたくない、と言う。過去の自分の作品にも捉われたくない、だからシリーズものも書けないのだと言う。確かに「敵は海賊」以外にシリーズものはほとんどない。雪風は15年ぶりに続編を書いたのでシリーズものとは少し違うだろうし。敵は海賊だって一作ごとに少し登場人物の性格や設定が違うような気がする。氏は、過去とか未来とかの文脈を外して、今書けることを書くというスタンスなのだ。

一番最後に氏が「今、生きていれば、それでいいじゃないですか」と言って、インタビューが終わる。一見、いい加減と見える発言だが、神林長平が言うと重みが違うね。氏がその時点、時点でどんな小説を書いてきたかは、ずっと目撃してきたからね。過去であれ未来であれ自分を不自由にするものは拒否する。氏は未だに自分を縛る何か得体のしれないものからの開放を望んでいるということのだ。あの海賊匋冥・シャローム・ツザッキィのように。

と、書いてきたが、まだ「膚の下」読んでないんだよなあ。あの厚さと「あなたの魂に安らぎあれ」「帝王の殻」を全部読み返さなきゃいけないところに、やや億劫さを感じてしまう。いかん。これを機会に読まないと。

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